02


通されたリビングは広く、インテリアもお洒落で窓際には瑞々しい観葉植物が置かれていた。

「どうぞ」

テーブルの上には既に鍋の用意がされており、自然な動作で玲士さんに椅子を引かれ、俺は恐縮しながらも腰を下ろす。

置かれていたグラスに飲み物を注ぎ、ほかほかのご飯を盛ってから玲士さんは俺の向かい側の席に着いた。

「ありがとうございます」

「晴海、敬語」

「あっ、ありがとう」

「ん。それじゃ食べようか?」

「うん」

鍋の蓋を開ければもくもくと湯気が立つ。中身はスーパーで買ってきた食材で作られたおでん鍋だ。

「わぁ、美味しそう」

レンゲと取り皿を手に呟けば正面から笑み含んだ声がかけられる。

「好きなだけ食べるといい」

「……っ」

玲士さんは自宅に帰ってきてから随分リラックスしているようで、寝室の時といい先程から俺の鼓動は乱れっぱなしだ。
俺が自意識過剰なのかも知れないけど、玲士さんが向けてくる視線だとかかけてくる言葉だとかに一々俺は反応してしまう。

「どうした?とれないなら俺がとってやろうか?」

「いえっ、大丈夫です!自分で取れますから」

やたらと緊張してしまって禁止だと言われていた敬語が口をついて出る。
鍋の中にレンゲを入れ、食べることに集中しようと心に決めた途端その決意は簡単に突き崩される。

「次に敬語使ったらお仕置きにしようか」

「えっ…なん…」

鍋から目線を上げて玲士さんを見返せば、どこか面白がるような瞳とぶつかった。

「何でって、咄嗟の時ボロが出たりしたら困るだろ?付き合いたてならそれもしょうがないけど、俺達はこれからも長く付き合っていくんだよ?」

「……っ」

長く付き合っていく。
そう言われて嬉しさと切なさに胸がきゅぅと苦しくなる。
玲士さんにそのつもりが無くても、今の言い方は少し狡い…。

レンゲで掬い上げた大根を取り皿に移し、俺は不自然にならないように少し顔を俯けて喋る。

「そう…だよな。俺も三年になったばっかだし、卒業するまでまだ一年は…」

ふとそこまで考えて気付く。

「俺…大学に…」

大学へ行けばまだ学生でいられる?
そしたら玲士さんと約束した学生の間は婚約者のフリをしてくれるという約束が続けられる?

…って、駄目だ。そんな卑怯な手を使ってまで玲士さんの自由を奪う権利は俺にはない。

「やっぱり嫌だった?」

「嫌なんて、そんな…」

自らの思考の渦に嵌まっていた俺は訊かれた言葉に咄嗟に答えてしまったが、今の返事は…。

「それじゃ、今から敬語使ったらお仕置きな」

「あ……」

「ほら、もっと食べろよ晴海」

否定する間もなく話は畳まれて、俺は流されるまま夕飯を口にした。






夕食を食べ終えて、玲士さんが夕食の片付けをしている間俺はリビングでぼんやりとテレビを眺める。
今の時間気になる番組もなく、テレビに目だけ向けながら考え事をしていた。

「約束どうこうより俺、大学には行きたいんだよな」

自分の気持ちを確認するように呟いて確かめる。

「うん…、良し」

それは決して私欲の為じゃないと改めて思う。

やがて耳に届いていた水音が止まり、キッチンから出てきた玲士さんが声をかけてくる。

「晴海。お風呂沸かしてあるから先に…って、寝間着買ってくるの忘れてたな」

「着替えなら今着てるのでも、買って貰ったのでも大じょう…」

「それは明日着る服だろ?…代わりになりそうな服持ってくるからちょっと待ってろ」

止める間もなくリビングを出て行った玲士さんに俺は首を傾げる。

「待ってろって…」

度々自分をどきりとさせる玲士さんは何処か強引で。もちろん優しいことに変わりはないが、妙にどきどきさせられる。

こんなんで俺大丈夫かな?いや、大丈夫じゃなくてもこの気持ちは隠し通さなきゃ。
ぐっと覚悟を決めた所で服を手にした玲士さんが戻ってくる。

「寝間着と言っても俺の服なんだけど平気かな?晴海にはちょっと大きいかもしれないけど」

紺のTシャツと黒のズボン。両方とも洗濯はしてあるし、こっちは新品の下着、と手渡される。

下着まで考えていなかった俺は一式を受け取って羞恥心から薄く頬を染めた。

「ありがとうございます」

「ん?……晴海」

恥ずかしさに服に視線を落とした俺は甘く痺れるような声で名前で呼ばれ、逆らえずおずおずと視線を上げる。すると、

「は…―っ」

掠めるように唇が重ねられた。

「お仕置き、一回な」

「〜〜っ」

そう言いながら間近で微笑まれて顔に熱が集まる。声を詰まらせた俺と視線を合わせて玲士さんは妖しく瞳を細めた。

「お風呂、入ってきな」

「……っ…」

促されて俺は顔を赤く染めたまま逃げるようにバスルームへ向かった。

顔が熱い…。

心臓がどきどきと忙しなく動いている。

もう、なに、さっきの!?

ぶくぶくと湯船に口許まで浸かって悶える。

此処へ来てから、来る前も頭の中は玲士さんのことで一杯だ。

俺、玲士さんとの別れを考えるより先に卒業まで持つんだろうか。それが心配になってきた。

ぶくぶくとお湯の中から顔を出し、熱い息を吐く。

「心臓、壊れそう…」

はふっと息を吐いて、うんうんと一頻り湯船の中で唸ってお湯から上がる。

人の家で長湯は良くないよな。

用意されていたバスタオルで身体を拭き、玲士さんから借りた服を着る。

「……大きい」

ウエストをぎゅっと締めて、ズボンの裾を少し捲り上げる。シャツは半袖だからあまり関係ないけど、体格の違いかちょっと肩が落ちる。
首周りも心なしか広く、ぎりぎり鎖骨が見えるか見えないか。

洗面所にあった鏡の前でぐるりと回ってみる。

「う〜ん、ちょっと不恰好か?」

でも他に着るものもないし…と、脱いだ時に畳んで置いた服を手にバスルームを出る。
真っ直ぐにリビングへと戻り、ソファで寛いでいた玲士さんに声を掛けた。

「お風呂ありがとうござ…っじゃなくて、ありがとう」

「………」

「玲士さん?」

俺を見て動きを止めた玲士さんに不安になり俺は再度自分の格好を見直し、首を傾げる。

そんなに可笑しくはないはず。

「いや…想像以上、結構クるもんだな」

俺から視線を外した玲士さんは軽く左右に頭を振ると何事か呟く。
そしてソファから立ち上がると俺の側まで歩いて来た。

「貸して。着てた服は一緒に洗濯しておくから」

「え、でも…」

「どうせ洗濯機かけるから遠慮はいらないよ」

そう言って手にしていた服をやんわりと浚われる。

「俺も風呂に入ってくるから晴海はリビングでゆっくりしてて。飲み物が欲しければキッチンにあるから適当に出して飲んでいいよ」

「…うん」

頷けば擦れ違い様くしゃりと優しく頭を撫でられ、風呂上がりのせいではなく頬に血が昇った。

何で玲士さんはこんなにやることなすこと格好良いんだろう…。

「はぁ…」

駄目だと分かっているのに惹き付けられて止まない。
とにかくおかしく思われないように玲士さんが出てくる前に顔に集まった熱を冷まさなきゃ。



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